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 ドナルド・キーンさんが語ってくれた「安部公房のこと」

2008/11/04 16:16

 

   昨日行われた文化勲章親授式のニュースで、日本文学研究で著名な米コロンビア大学名誉教授、ドナルド・キーンさんの姿をみかけました。現在86歳とのことですが、お元気そうにお見受けしました。

 
 キーンさんには、コロンビア大学に社費留学していた1996年に一度、お茶の時間に招いていただいたことがあります。ちょうどニューヨークで作家の安部公房(1924-1993)に関するイベントがあり、そのPRを兼ねて、同じように留学していた日本人記者数人と一緒にお声がけいただいたのでした。
 
 場所はコロンビア大学にあるキーンさんの研究室。そのころキーンさんは大作「明治天皇」をご執筆中だったので、研究室は関係する本や資料であふれかえっていました。ご高齢なので、早起きして午前中は研究室で執筆し、午後は読書をしたり来客に応じたりする暮らしぶりだと言っていました。
 
 
 文化勲章親授式を終え、記者会見に臨むドナルド・キーンさん =3日、宮内庁(栗橋隆悦撮影)
 
 茶会では、自己紹介のあと、執筆中の「明治天皇」についてあれこれお話しをうかがい、一段落したところで、キーンさんが安部公房について、ゆったりとしたペースで話し出しました。キーンさんと安部公房は親交が厚かったようで、話題は他の作家たちと一緒にチェコスロバキアを訪問したときの話になりました。カフカを出すまでもなく、チェコは冷戦下の当時もクンデラといった作家を輩出した土地であり、安部公房は気分がハイになって、ずいぶん陽気だったそうです。
 
 キーンさんとの会話を思い出しながら再現してみます。よく通るテノールの響きで、教え子に大切なことを伝えようとする教育者のように、穏やかな口調でじっくりと話しかけていくような感じでした。言葉は流れるような日本語です。
 
 「チェコに滞在中、プラハから少し離れた農村に安部公房といったことがあります。そこで何を思ったのか、安部公房は地元のひとたちと話し始め、いつのまにか車座になって盛り上がっていったんです。ずいぶん長いこと話が弾んで、帰りの車の中で、安部公房が僕に興奮したように話しかけてきたんです。
 
 話の中身は印象に残らなかったので、たいした内容じゃあなかったと思います。この土地の人々がいるからこそ、この土地に素晴らしい文学が生まれたとかなんとか、そんなことでしょう。
 
 でもね、あとになってから、僕はふと気づいたんですよ、安部公房はいったいどんな言葉でチェコの人たちと話をしたのかなあ、と。
 
 安部公房は外国語は得意じゃないし、チェコの農村の人々は片言の英語だって難しいでしょう。でも、安部公房は興奮するくらい相手ときちんとコミュニケーションがとれていたように見えました。不思議ですよね。
 
 冷静になって考えてみると、あのとき安部公房とチェコの人々は言葉が通じなかったはずなので、お互いにコミュニケーションができたと思いこんでいただけかもしれません。僕はそのとき『安部公房とチェコの人々は、実は勝手なことを一方的にしゃべっていて、通じた気になっていただけじゃないか』といぶかしく思っていました。ただ、安部公房本人はコミュニケーションが成立したと思いこんでいて、それを疑おうともしていなかった。
 
 作家は言葉を大切にするものです。その作家のひとりでありながら、安部公房はどこか言葉を越えたところでコミュニケーションをするようなところがあった。日本語を越え、言葉を越え…。これは安部公房の文学に通底するところがあると思うんです」
 
 安部公房という作家が持つ大切な部分が、単なる形容詞ではなく、キーンさんの体感温度を通じて自分にも伝わってくるような気がしました。
 碩学とは、こうした話し方で、ものごとを伝えるのですね。
 心地よい知的な興奮に包まれた、貴重な経験でした。
 
 (SANKEI EXPRESSのオフィシャルブログにアップしたものと同じ内容です)                                      

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映画「七夜待」 長谷川京子さんの不思議な魅力

2008/10/14 19:54

 

 久しぶりの更新ですが、今回もEXオフィシャルブログの当番が回ってきたので書いたものです。もともと経済や国際関連など硬派の取材が多かったのですが、EX副編集長になってから、ほんとに雑食性になりまして、このたび長谷川京子さんのインタビューにトライをしてしまいました。

 この映画「七夜待」ですが、見終わると周囲の時間がゆっくり流れてくるような気がします。余裕の少ない都会暮らしをしているひとにおすすめです。

 

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   国際的に高い評価を得ている映画監督、河瀬直美さんの新作「七夜待」が11月1日から順次全国公開されます。日本の都会でいつも何かにいらだちながら忙しく生きている30歳の女性、彩子がなんとなくタイに行って一週間を過ごす物語です。

 映画の中で魅力的なのは、なんといっても彩子役の長谷川京子さんがみせる表情の変化でした。都会で暮らしていると、なんだかいつも余裕がなくて、カリカリしているひとが多いと思うんですけど、映画の最初に出てくる彩子はいかにもそんな感じです。それがタイの古式マッサージを伝える親子や正体不明のフランス人旅行者などに会ううちに、だんだん内面から浄化されていくのですが、まるで長谷川さんの肌に南国のねっとりした空気が乗り移っていくようで、時間の流れまでがゆったりと感じられていくようになります。いつの間にか彩子は自分が本来持っている美しさを取り戻していくんですね。
 この映画について、河瀬監督と長谷川さんにインタビューしまして、9月30日付EXの写真劇場に掲載しましたが、紙面だけではお伝えしきれなかった部分がありますので、このブログでは長谷川さんのインタビューの詳報をお届けします。
 長谷川さんは、ときにはじっとこちらをみつめて考え込んだり、ときには思わせぶな答えが返ってきたり、質問にとても真摯に答えてくれました。テレビドラマでみるイメージとはずいぶん違っていて、自分の気持ちを絞り出すような答え方が印象的でした。
 
矢島康弘撮影/スタイリスト 三浦真紀子(heiz)/ヘアメイク 佐々木貞江(image)
 
 --映画の冒頭で主人公の彩子は「いつも怒っている」と言われるような表情をしています。日本の都会から30歳の女性がタイの街角にやってきて、そこで怒ったような表情をしている、それが不安な表情を見せるかと思えば、不思議な出会いの中でリラックスした表情をみせる。最期には自分の内面にある願望のようなシーンもさしはさまれる。ひとりの女性が鮮やかに変化していくところが魅力だと思いました。そういう表情の変化はどうやって生まれていったのか、どこまでが演技でどこからが素なのか、みていて僕にはわからなかったです。
 
 長谷川京子さん (どこまでが演技でどこからが素なのか)私もわからないんですね、実際やっている最中は、この変化に対しての自分のなかでのプランを立てていたわけでもなく、本当に一週間の話なんですけど、その一日を一日ずつ撮っていく、いわゆる『順撮り』だったので、はじめに台本というものはなかったんですけど、企画書の中に大筋の話が書いてあって、とにかくに日本とか自分をとりまく環境や現状に不満を持っていて、なんとなくタイへ行った女の子のお話です。
 
 いまこうして自分がこの作品を思い返して思うのは、すごく去年やっていたこの役っていうのは、そのときの自分とこうシンクロしていて、同じ感情を自分自身も持っていたのではないかな、っていう感じがして…。
 
 女の人の多くが20代後半ですごく悩む時期と思うんですね、どんなお仕事の方でも、私も20代の27、28、29でものすごく悩んだし、それは自分の悩みなんだけれども世の中に対する不満になっていく。自分の問題でもあるんだけれども、悩んでいるときって、周りのものを否定したくなってくる。結局は、それは自分の問題なんですけどもね、この時期は本当に自分もそうだった、と思っています。
 
 実際には一週間ちょっとしかいなかったタイなんですけど、そういう意味ではお芝居なのか、リアルなのか、って聞かれると、う~ん、わかんないですね。リアルだったのかもしれないし、あるお話しに自分がはまっていって、無意識のうちにどんどん表情が変わることができた、って言う意味ではリアル…、でも、まったくリアルはないと思うんですよ。やっぱりお話しに沿って、一応、ここにカメラがあって、とか意識してやっているので(笑い)。そのお芝居とリアルの配分はちょっとわからないですけど。
 
 --芝居とリアルの配分はわからなくても、なにか自分がその状況に入り込んでいくように気持ちを寄り添わせていかないといけないと思うんですが、そういうときの心構えはありますか
 
 長谷川さん 心構えというか、だいたい河瀬監督の話を受けた時点で、どういう環境に自分が身を投じなければならないかと言うことを予測はしていたので。台本もないですしね。
 
 --どうやって、映画に気持ちをあわせていったんですか
 
 長谷川さん タイに行く前に奈良に4、5日間くらいいたんです。でもね、なにもしていないんですよ、その4、5日間は。回想シーンというか、夢のシーンがあって、マッサージをしてもらう夢のシーンがあって、それを一応撮ったんですけど、奈良の元興寺っていうお寺で。そのシーンに関しては一日で撮れるくらいのもので、他の三日間くらいは本当に何もしないで、マッサージをしあったりとか、ヨガをしたり、あとはアスレチックをしたりして。とにかく河瀬監督は『東京の空気を抜いてほしい』と言ってました。
 
 その三日間がとってもよかったと思うし、本当になにもしない、台本がないからプランも練れない、台本を読みようがないし、そもそも読むものがまずない、本当にやることがない、って環境を三日間すごしたのはすごくよかったと思うし、監督が求めているものっているのもなんとなくわかっていたので、実際それを、理屈でわかっていても、自分が実際やることのすりあわせをなかなか、もうひとつうまくいかないこともありましたけど。
 
 でも、どちらにしてももう受けちゃったんだから、怖いもなにもないな、任せるしかないじゃないですか、監督に。自分が受けた以上は。そこを監督を信用できないで、あのう、こんなことやれませんとか、怖いっていうのは、だったら受けなくてもいいんじゃないっていう話だから。
 
 --河瀬監督は若いうちから海外で高く評価されてきた監督ですが、そういう監督のオファーを受けるときに期待感とか、もしくは自分の世界を広げるとか、なにか女優としての挑戦とか、そうしたものを覚悟なさったんですか
 
 長谷川さん いや、興味でしかなくて。覚悟とか腹をくくるとかなくて、本当に興味でしかなくて…。こういう作家性の強い監督が撮られる作品を私はやったことがなかったので。
 
 いままで私がやらせていただいたお仕事っていうのは、すごく本当に多くの方に観ていただくような、お仕事が多くって。
 
 テレビが一番わかりやすいと思うんですけど、小難しいことやっても誰も観ないんですよ、観ている人の最低90%以上がわかってくれるようなお話じゃないと。それは本当にいい意味でなんですけど、そのなかで自分の表現力はひとつに絞らなければならなかったんですね。テレビというお仕事においては曖昧な表現っていうのは必要なくて、わかりやすく、テレビに出る上では、キャラクターをなんか簡単にまとめなければならなかった。
 
 今回はそれとは逆で、そんなにわかりやすい表現っていうことじゃない。直美さんの作品には、『こちらから提案しなくても感じてください』っていう部分ってあるので、やはりそのなかで自分がやってみたかった。それはホント興味です。
 
 --テレビが90%の人にわかるような表現と、この映画は違うんですね
 
 長谷川さん う~ん、ただ、テレビの仕事で多くの人に伝えようとするものでも、受け手の中に自分のピンポイントというのは作れると思うんですよ。私はいま30歳を迎えて、それをどうやっていかなければいけないか、ということですよね。多くの方に観てもらえる仕事がせっかくできているんだから、そのなかでどうポイントを残せるような表現を自分で見つけていかなければいけない。
 
 いままではみんながこういう事件が起きたら、こういうリアクションをとるよね、っていう一番多い部分をやっていくだけでなんとなく成立していたけれども。これからは、それをやりつつ…、両方をうまくやっていかなくてはいけない…。
 
 --今回の映画は、おおまかな物語を書いた企画書だけで、台詞は演技を指定した台本がなかったそうですね。この映画で、だんだん表情が変わっていく主人公を演じられたことで、いままで気づかなかった自分の良さとか可能性と、感じますか
 
 長谷川さん う~ん、いっぱいあるんです。いわゆる台本があるなかでの芝居っていうのは、自分の3秒後にとるべきリアクションもわかっていなければいけないし、相手が言う言葉もわかっている状態でやるっていうのは、まあ、当たり前のこと。でも、今回はそれがまったくなかった。相手が何を言ってくるかもわからないし、自分がそのあとにどんなリアクションをするのかもわからない。それがお芝居かっていうとそうではないんですけども、ただ、そのときに受ける相手からのアクションというものがすごく素直にここ(頭をさして)に入ってくる。
 
 お芝居では本番までに最低3回はリハーサルでドライやってカメリハやって、4回目に本番です、ってなる。そりゃあ自分のなかで『ここで泣いてください』っていわれて自分のなかで準備をしなければならないんだけど、それがなんか相手の言葉が直接胸に刺さって、泣けとも言われていないのに、すごく胸に刺さって涙が止まらなくなるっていうのは、お芝居の世界ではやったことがないことだった。
 
 --ひとって、泣くべきところじゃなくても、感情が高ぶってきて涙が出てしまうところがあって、それが素直に描けている気がしました。なんで、この言葉に涙がでちゃうんだろうってときがありますからね
 
 長谷川さん そうなんですよね、涙が出るって生理現象に過ぎないものをいままではむりくり準備をしてやっていて、『ここで泣くのは気持ち的にきついなあ』って思いながらもやんなきゃいけないことってあって。
 
 それだけ普通のリアクションを新鮮に受け止めることがいかに大事なことかっていうのは、すごく監督に感じたし、今後台本のないお芝居をするってことはもうないと思うんですけど、でも、台本がある中でも何回聞いても自分が新鮮に受け止められるようになりたいなあ、って。お芝居をする上で、自分自身に対しても新鮮ありたいなあ、って思いました。もちろん私も芸歴もどんどん長くなるけど、若い頃に固執するんじゃなくて、進んでいくんだけど、やっぱり新鮮じゃないといけないなあ。
 
 --もうひとつ印象的だったのは、長谷川さんの表情と同時に、画面全体を支配する空気感ですね。緑の濃さであったり、空気ののっぺりした感じであったり、映画の後半になるとそういう空気感が長谷川さんの肌に乗り移っているような感じがしました。
 
 長谷川さん アジアってやっぱり独特だと思うんですね。あの湿度の高い感じ、色味もそうですし。アジア…、なんかアジアにはアジア人があうなぁって。そのなかで分類分けするとしたら、アジアにもいろいろありますけど、やっぱり日本人っていいなあ、って思うんですよ。淫靡。官能的。日本人の女性って、淫靡で官能的ですよ。慎ましやかとか、奥ゆかしさが日本人にはあって。それも含めてアジアの独特の空気感というのは、エロいですよね。
 
 --アジアのそういうところはお好きなんですか
 
 長谷川さん 好きですねえ。やっぱり湿度。湿度があるっていうか、呼吸している感じがするって言ってもらえるとすごくうれしい。全体的にでもいいし、皮膚が呼吸している感じと言ってもらってもいいですし。それがうれしい。
 
 映画「七夜待」のワンシーン。内面からしみ出すような魅力がリラックスした表情からうかがえる
 
 --古式マッサージって結局呼吸ですものね。
 
 長谷川さん 今回はカメラマンがフランス人だったので、
 
 --すばらしいですね
 
 長谷川さん うん、彼女はホントにすばらしいですね。その風景や空気感の撮り方もすばらしいんですけど、人物にクローズアップしたときに、日本語がわからないですし、台本もない中で、私自身の感情を汲み取ってくれるんです。きてほしいときに寄ってきてくれる。それがもしかしたら呼吸につながるのかもしれないし。カメラワークが、ずっと手持ちだったので、こちらのストレスがない。1台で、彼女のセンスでサイズを切っていて、フィルムが切れるまでずっと長回しだったので、彼女のセンスでしかないんですけど。言葉じゃなくて、相手の感覚を読み取る能力を持っているひと。フランス映画ってどっちかっていうと往々にしてそんな感じじゃないですか。
 
 --ゴダールやリベットとやってきたカメラマンですからね。リラックスして表情が変わっていくんでけど、後半なると、だんだん欲望というか願望のようなシーンがところどころ挿入されていきます。癒しを求めるだけなら、よくドラマでもありそうですが、そこにひとの欲望があるのかな
 
 長谷川さん あのシーンは、撮っているときはそんな予定ではなかったので。
 
 --そうなんですか
 
 長谷川さん そんな予定ではないっていうのはちょっと違うんですけど(笑い)、本当にリラックスしてマッサージを受けている、ってぐらいの撮影だったんですよ、奈良で最初に撮っているので。ただ、そのなかで、私もあんなにエッチな絵になっているとは思っていなくて、正直。
 
 そのなかで、直美さんが着想を得て、村上さんと対面しているときに、いろんな質問をするんですね。で、私は村上さんと対面しながら会話に答えていったりとか、その会話がなんの会話だったか、なんの会話だったかな、なんか自分の嫌いなところとか自分の弱いところとか、その隠したいところみたいなことだったと思うんですけど、そういうことをお互いが話し合うみたいのことをずっと話したりとかしてたんですよね。それをずっとカロリーヌ(カメラマン)が撮っていたんですけど。
 
 --そこにはあんまり感情移入はなかったんですか
 
 長谷川さん ありますよ、彼に対して?
 
 --彼というか、自分が持っている潜在意識みたいなものかと思いましたが
 
 長谷川さん ああ、それだと、まず、あれだけすごく静寂な中でマッサージをずっと受けていて、お互い体が触れあっているっていうので、やっぱりうち解ける部分ってすごくあって。で、すごく静寂な中でリラックスはしているけれども、ある種の緊張感っていうのはあって、なんだろう、すごくそういう独特な空気感の中で、ふたりが体を触れあっているっていて、そこのなかですでにコミュニケーションができあがっていて、そのなかでいろいろな話をしていく。その話も軽い話じゃないんですよ、自分の人には言えない隠したいこととか、ヘビーなことなんですよ。どういうことを聞かれたのか、ちょっと覚えていないんですけど、とにかくグサッとくるようなことなんですよ。ここで白状することなのか、みたいな…。
 
 --内面を出せっていうことですね
 
 長谷川さん そうそう、出せっていう意味で。だからあえて欲望を出しているわけじゃあないですけれども、全体的にそういう流れになっているな、と思います。映画の話にあっている欲望か、というとそうではないかもしれないけれども。
 
 --そのへんに監督の一種の手練手管があるんでしょうか
 
 長谷川さん う~ん、私は監督はすごく素直な人だと思うんですけど、ただその…、すごく素直な見解だと思うのは、人間にはやっぱり欲望があって、それがなくなったら達観してしまう仏様で、最終的に究極はそこなのかもしれないけど、人間の面白さってそこに欲望がある、ゆえにうまくいかないことが多かったりとか、自分本位になったりとか、相手とコミュニケーションがとれなくなったりとか、いろんな障害がでてくるんだけれども、それってやっぱり欲望があるから。それが人間だと思うし。
 
 ただ、タイに来たばかりの時の彼女の欲望というのは、もっと外側に張り付いた、本来自分に必要のない欲望だと思うんですね、私の内面にもあるし、人間、社会に出たら誰にもあると思うんだけど、だけど、『本当にそれが私が欲していることなのかな』って、やっぱりすごく考えるし、『必要ないんじゃないかな、こんなもの、なんで自分はこんなものをずっと持っていたいのかな』っていうものに、すごく悩まされて。(映画のなかで彼女は)本来持っている欲望にたどり着けたんじゃないかな、って私思うんだけど。欲望っていうか、情熱っていうのかな。
 
 --仏教の世界では「生の肯定」って考え方がありますよね。もともと仏教は死の苦しみに向かい合う諦観からスタートしていますが、苦しみの末に生きることを肯定するところがあります。この映画の舞台に仏教を選んだのは、そういう「生の肯定」の意味があるのかな、と僕は思いましたけど。欲望なのか情熱なのか、そういうものは結局、人間が本来生きるところにつながっていくんじゃないでしょうか、そんな気がします
 
 長谷川さん 話を詰めていくと、きっとそういうところだと思うんですよ。監督も『生と死』というものにこだわりを持っていて。私はまだこの年齢の設定で、自分もこの年齢なので、生に対しても死に対しても両方近くないんですね、だけども、監督には生に対しても死に対してもリアリティーってものがあって。
 
 例えば、いまのタイの情勢についても、足をひきづっている男の人がいて、ベトナム戦争でタマが当たって足を引きづっている状況から、次はいつ自分たちが死ぬのかわからない状況だということをタイ語だけれども話しているんですよね。それを私は聞いていて、こまかいデティールはわかんないんですけど、だいたいなにを言っているのかはわかった。言葉が通じない分、相手の言っていることを理解しようとするから、言葉にとらわれない、本人の話している感情にすごくフォーカスする分、感情がすごく入るんですよ。
 
 その話をする前に、タイのお母さんから『日本ってどんな国?』って聞かれたときに、富士山がきれいだしぃみたいな適当なこと言っているんですよ、でも、そういう話を一通りしたあとに、もう一回お母さんが『日本ってどんな国?』て聞いてきて、すごく自分は豊かで恵まれた国にいながら、いますごく不安定な国に身を置いていて、本当に日本にいながらいろんな不満なんかを持ってしまっていて、自分の感情にすごくそれが恥ずかしくなっちゃって、ものがあふれているってことが、どれだけひとを怠慢にさせたりとか、いろんな情報を得ている分、どれだけ自分たちの世代が失っているものが大きくなっていっているのかということが恥ずかしいことになっちゃって、涙が止まんなくなっちゃったんですね。私の年代が、生に対しても死に対しても、すごく希薄な年代が私が行ってそれを感じるためにはすごくいい場所だったと思います。
 
 映画の詳細はこちらへ→
 http://www.nanayomachi.com/index.html
 
 
 
 
 

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ワレリー・ゲルギエフ「心の底から私はひとりのオセチア人です」

2008/09/02 20:34

 

 9月からEXの公式ブログでスタッフが交代でコメントを書くことになりました。本日は私の順番が回ってきましたので、同じ文章をこちらのブログにもアップさせていただきます。公式ブログの当番はおよそ3週間に1回まわってくるのですが、これでは月に一度更新するかどうかの当ブログよりも更新頻度が高まってしまいそうです。どうしたものか…。さて、本文です。

 

 

 グルジア戦争の戦禍に見舞われた南オセチアのツヒンバリで行われた指揮者ワレリー・ゲルギエフの演奏会について、8月23日付EXで取り上げました。オセチア出身であるゲルギエフの演奏を伝えた世界各国の報道には、ロシア側のプロパガンダに乗せられたとの切り口が散見され、実際、ゲルギエフは演奏会に先立つ挨拶で戦火を開いたグルジア側を非難し、ロシア軍の介入を明確に支持しています。それでも、ゲルギエフほど才知に恵まれた世界的な指揮者が、単純にナショナリズムの昂揚や戦争賛美の片棒をかつぐとは私には思えませんでした。ちょうどこの日の当番編集長だったので、EXのスタッフHにお願いして、ゲルギエフと個人的な親交もある東京外語大学学長の亀山郁夫さんに取材、ゲルギエフの選曲を読み解いていただきました。

 こちらがその記事です。演奏会の写真もご覧になれます。
 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/europe/172359/

 

 

 

 その後、このゲルギエフの演奏について、もうちょっと調べていたら、ロシアのテレビ局が演奏会の一部始終をネット配信していました。この映像を手がかりに、EXが報じきれなかった部分をご紹介したいと思います。
 映像はこちら。
 http://www.vesti.ru/videos?vid=145847

 

 

 ゲルギエフは演奏に先立ち、戦禍に苦しめられている南オセチアの子供たちと一緒に壇上にあがり、ロシア語でスピーチをします。そして途中から「ちょっと英語で言いたいことがある」と言い出しました。英語には国際共通語の役割もありますから、ゲルギエフはロシア国外に暮らす世界の人々に伝えたかったのだとおもいます。

 

 「心の底から私はひとりのオセチア人です(I'm a Ossetian in myself)」。

 

 こんな言葉で英語のスピーチは始まりました。そして、自分が総責任者を務めるロシア・サンクトペテルスブルグの名門マイリンスキー劇場オーケストラを率いてツヒンバリに来たのは、なによりも戦火の犠牲者に対する慰霊であることを表明し、続いて8月7日のグルジア軍による南オセチアへの攻撃で2000人が犠牲になったことについて、「グルジア軍による大規模な侵略行為だ(There are a huge act of aggression by a part of Georgian amy.)。世界はまだこのことを知らない。だが、日ごとに真実は明らかになるだろう」と強い調子で非難しました。

 

 そして壇上にいる子供たちの肩に手をかけながら、将来のオセチアに平和と繁栄をもたらせようと繰り返し訴えました。続いて、「ロシア軍の助けがいなければ、犠牲者はもっと増えただろう。私は自分の故郷オセチアと、助けてくれた偉大なロシアを誇りに思う」と述べ、最期に改めてオセチアの平和を望むことを強調して、演奏を始めたのです。

 

 このスピーチを聞くと、ゲルギエフは、グルジア軍を故郷オセチアに対する侵略者とみなし、ロシア軍の介入を明らかに支持しています。この部分をとらえると、世界的な指揮者であるゲルギエフがロシアの介入を賛美したと受け取れますし、その姿をロシア政府に近い立場をとるロシアのテレビ局が繰り返し放映し、ロシア政府の行動を正当化するプロパガンダに利用したことも仕方ないかもしれません。

 

 逆に言えば、プロパガンダに利用されることも覚悟したうえで、こうした発言をするほど、ゲルギエフの怒りは激しかったということなのでしょう。日本や欧米ではロシア軍のグルジアへの侵攻を非難する報道があふれていますが、ゲルギエフがそこまで怒るべき事態がグルジア軍によって引き起こされたことについては、まだ認識が足りないのかもしれません。

 

 でも、スピーチに続く演奏会の選曲をみると、ゲルギエフがロシアを支持してグルジアを非難しているというのは、いかにも単純な受け止め方という気がしました。

 

 8月23日付EXで報じたように、この日の演奏会では、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」とショスタコービッチの交響曲第7番「レニングラード」が演奏されました。でも、演奏会の映像をみると、ただ2曲続けて演奏したわけではありませんでした。23日付EXの編集過程では気づきませんでしたが、このあたり、EXの報道は舌足らずだったと思います。

 

 演奏はまず、「悲愴」の第1楽章ではじまり、通常は8分の6拍子に優美なメロディーが流れる第2楽章に続くのですが、この日のゲルギエフは第1楽章が終わったところでいったん聴衆に振り向いて拍手を受けます。あれ、様子が変だな、と思っていると、小太鼓の連打が始まり、「レニングラード」の印象的なメロディーが流れ出しました。

 

 「レニングラード」はEXの記事で亀山さんが指摘しているように、第2次世界大戦の激戦で知られるレニングラード攻防戦の最中に作曲され、ナチス・ドイツへの不屈の戦いを続けた市民を描いたとされていますが、昨今では単にナチス・ドイツへの戦いだけでなく、自由な市民生活を抑圧した旧ソ連のスターリン主義に対する抵抗の意味も込められている、との解釈が広まっています。

 

 「悲愴」は晩年のチャイコフスキーが人生の素晴らしさと哀しさの双方に深い思いを込めて作曲とされる曲で、鎮魂や追悼の意味を持つと解釈できます。これに対して、「レニングラード」は戦いや抵抗のイメージが強い曲です。これをゲルギエフが選んだのは、やっぱり故郷の南オセチアが戦火に見舞われたことへの怒りとそれに打ち勝とうという強い意志を示しているのでしょう。2004年9月に北オセチア・ベスランの学校をチェチェン独立派の武装集団が占拠し400人近い死者がでたとき、ゲルギエフはウィーンフィルを指揮して「悲愴」を演奏していますが、「レニングラード」は演奏していません。それだけに「レニングラード」を演奏した今回の選曲にはベスラン事件のときとはまた違った強い意志が読み取れると思います。

 

 もしも演奏会がそのまま「レニングラード」で終わったなら、そういうゲルギエフの激しさが前面にでた結果になるのでしょう。でも、実際の選曲はそうではありませんでした。「レニングラード」の第1楽章に続いたのは、アップテンポでダイナミックな演奏となる「悲愴」の第3楽章でした。そして、そのまま沈鬱な「悲愴」の第4楽章に続いて、演奏会は終わりました。

 

 「悲愴」の第4楽章は、嘆くような弦楽器のアンサンブルが響き、最期はコントラバスによる低音で消え入るように演奏が終わります。ゲルギエフはこの最期の締めにたっぷりと情感を込め、低音が消えて静寂が訪れてもしばし演奏姿勢をやめませんでした。たぶん、10秒か20秒なんでしょうが、犠牲者への鎮魂と追悼の気持ちが聴衆にじりじりと伝わるような静寂な時間でした。

 

 演奏会ではときおり、こうした余韻を表現しているときに、せかせかと拍手を始めてしまう聴衆がいますが、戦禍に苦しむ南オセチアではそうした不粋な聴衆はいませんでした。このあたり、音楽に対する文化の成熟を感じますし、そうした成熟を持った土地で悲惨な戦闘が展開される現実の厳しさも際だつような気がしました。やはり、ゲルギエフの真意は犠牲者に対する鎮魂と追悼、そして亀山さんが指摘するようにこれほど成熟した文化を持ちながらも戦火が引き起こしてしまうことへの憤りにあったように思えます。

 

 演奏会の映像はスピーチも含めて1時間足らずです。

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東京オンリーピック

2008/08/12 21:21

 

 遅くなってしまいましたが、8月8日付のEXでちょっと珍しい試みをやってみました。映像作品「東京オンリーピック」の公開にあわせて、総監督を務めた映像クリエーターの真島理一郎さんに、作品の内容を紹介するフィクションの新聞を2ページにわたって制作していただいたのです。

 新聞社として2ページを外部の方に作っていただくことはあんまり例がないことだと思いますが、第一線で活躍するクリエーターがEXをつくったらどんな感じになるのか、私自身、とても楽しみな企画でした。

 きっかけは、ひとりの熱心なPRスタッフが突然、私に電話をかけてきてくれたことでした。話をきいてみると、「スキージャンプ・ペア」をヒットさせた真島さんが切り盛りしている企画で、なんか面白そう…。その延長で、「じゃあ、せっかくだから、クリエーターの感性で新聞をつくってみませんか」と提案したところ、真島監督もその気になってくださいました。新しいスタイルの新聞として実験的な性格を持つEXならでは、の展開です。

 「東京オンリーピック」は個性派ぞろいの映像クリエーター15組がオムニバス形式でオリジナルなスポーツ競技を描いた作品で、8月24日まで東京・新宿の映画館バルト9で公開されています。会場では真島監督をはじめクリエーターのみなさんのトークショーなどもあり、愉快な時間を過ごせると思います。初日には壇上で真島監督からEX紙面のご案内もいただきました。ありがとうございました。

 紙面を見逃したみなさんにも楽しんでいただけたら、と思いますので、真島監督のインタビューと真島監督にご担当いただいたEX紙面を画像でアップします。
 では、まずは真島監督のインタビューから。


 --「東京オンリーピック」の企画意図を教えてください
 「僕は4年に1度のオリンピックのお祭り感が好きで、オリンピックを舞台にすれば、いろいろな競技を話題のひとたちと一緒に取り上げて、クリエーターのお祭りができるかなあ、と思ったんです。ひとの嗜好というのはさまざまなもので、僕がコレを面白いと思っても、別のひとは全然面白くなかったりするもの。だから、いろんなひとが楽しめる、いろんな性質の笑いが詰まったエンターテインメントをみんなで集まって作ったら面白いかなぁ、じゃあやろうかな、という気になったわけです」

 --映像作品を作る上で、スポーツの面白さはどこにありますか
 「スポーツというのは、実生活においてあんまり必要性がないというか、人間が生きていく上で運動はやらなければならないけれど、スポーツはなければないでいいものです。いい意味でムダなことに人生をけてやっている人間が題材として魅力的で、僕はひかれるんですよ。そのなかでもオリンピックは4年に1度しか見られないもので、普段はテレビでまったく放映されないスポーツでも、それぞれにルールや美的価値観があります。日常生活では、そんなポーズをしたらかっこ悪いだけじゃない、という姿勢がその競技では決めのポーズだったりします。そういうものを世界中のひとが真剣にやっているところがすごく面白い」

 インタビューに答える真島理一郎監督(小野淳一撮影)

 --参加したクリエーターはどうやって選んだんですか
 「基本的に僕が選びました。このひとにスポーツを描かせたら、どんな作品を作るんだろうって楽しみなひとに声をかけていきました。気をつけたのは映像の手法にとらわれない、ということです。実写には実写の、CGにはCGの良さがある。ギャグを得意とするひとも、普段シリアスな作品を作っているひともいる。とにかく、ここだけ(オンリー)で見られる映像(ピクチャーズ)を集めたから、オンリーピクチャーズ。略してオンリーピックとなったわけです」

 --監督ご自身は開会式と閉会式のほかに「男子親離れ」「男子ヒューマニズム」を作られています
 「『スキージャンプ・ペア』が評価されましたが、それと同じものをやってもしようがない。何か違う視点から面白さを出したいと考えました。『男子親離れ』は投げた後の飛び方とか、大の大人が『お母さん!』って必死に叫ぶ表情とか、そういうものを見せたかった。やっぱり男っていつまでたってもお母さんが好きで、奥さんや彼女とは違う特別の思いがあります。それは世界各国に共通していて、そのおかしさとか、愛とか、そんな感情を面白く表現してみたかった。『男子ヒューマニズム』はパペットありきで、実写の人間では抵抗があるような描写をやりたかった、ということです」



 続いて、真島理一郎監督が執筆、レイアウト、製作をしてくれた「東京オンリーピック」を紹介するフィクションの新聞紙面です。
 実際のEXでは見開きで掲載しましたが、ブログなので半分ずつに切り分けてアップします。読みにくいかもしれませんが、JPEGファイルの最大サイズでやってみます。イメージだけでもお楽しみいただければ…。




「東京オンリーピック」のDVDは9月26日に発売されるそうです。


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映画「イントゥ・ザ・ワイルド」

2008/07/09 00:33

 

 ショーン・ペン監督の映画「イントゥ・ザ・ワイルド」の試写会に行きました。米ウェスト・バージニアの裕福な家庭に育った優等生のクリスが大学卒業と同時に一切の連絡を断ち、米国やメキシコの旅を続けた末、アラスカで遺体となって発見される実話を映画化したものです。

 タイトルからして、ジャック・ケアルックの「オン・ザ・ロード」をどこかに重ねながら映画を観てしまったのですが、当然ながらビート世代のケアルックとはずいぶん違うところもありました。でも、この映画は現代にも冒険が存在することをストレートに描いてくれていて、そこが魅力です。

 現代の冒険とは何か-。
 まあ、この問いかけは「ひとはなぜ旅に出るのか」ということに通じるような気がしますが、「オン・ザ・ロード」に描かれたビート世代の旅がなにやら時代の必然に背中を押されて成立する旅であるのに対して、「イントゥ・ザ・ワイルド」の旅はあくまでひとりの人間の気持ちが舞台となる旅です。自分の生い立ちや境遇から旅に出る理由が生まれ、その個人としての守備範囲のなかで旅が完結するように思えます。このあたり、社会変革運動が身近にあった1950年代~70年代前半くらいまでに青春時代を送ったひとたちと、そのあとに多感な時期を迎えたひとたちとの違いが出ているのかもしれません。

 ショーン・ペン監督が描いた現代の旅には、感受性の鋭い若者が内面に秘めている衝動やこただわりが見事に描かれていて、主人公のクリスが経験した旅は、もしかすると自分にも起こりえる状況ではないか、と思わせるものがあります。すなわち、これが普遍性なのでしょう。モデルとなった実在のクリスと私がほぼ同年代というためなのかもしれませんが、反逆児が肯定された時代よりも遅れてきたひとたちにとっては、よくわかる状況です。映画の終わり方はハッピーエンドではないのですか、そんな価値観の置き方にムリがありません。このあたりはネタバレになりそうなので、控えますが…。

 映画の作りとしては、パンフレットの解説で川口敦子さんが、青山真治監督の作品と通じるところに触れられていますが、これは私にもとても納得できる指摘です。

 ショーン・ペン監督の作品には、映画の細部にまで心地よい緊張感があります。これは青山監督の作品でも同じで、例えば、昨年秋に公開された青山監督の「サッド バケイション」に浅野忠信さんと板谷由夏さんがマンションの一室で互いに惹かれて恋に落ちるシーンがありますが、これが2台のカメラを使った長いカットのなかで、断片的なセリフがバラバラと発せられるなかで目の動きや細かな表情を丹念に写し、恋愛感情の高まりを見事に表現していました。昨年秋にEXの取材で青山監督にインタビューしたとき、このシーンについて「恋愛って、確かにああいうふうにあるときある場所で盛り上がることってありますよね」と質問したら、「あると思います、というより、恋愛は言葉でするものじゃないでしょう? 僕の映画は言葉では説明しきれないところでできている。その意味で映画の神様を信じているんですよね」と話してくれました。こういう非常に感覚を研ぎ澄ましたような映画への接し方が「イントゥ・ザ・ワイルド」のなかにもたくさんありました。さる雑誌は、米国のオレゴン州までショーン・ペン監督を訪ねていったそうですが、その気持ち、わかります。作り手に聞いてみたいことがたくさんある映画ですね。

 そういえば、名バイプレイヤーの光石研さんがEXの記事の中で、心地よい緊張を感じる撮影現場をつくる監督として、青山真治監督と荻上直子監督の名前を挙げていました。ショーン・ペン監督にも共通するところじゃないでしょうか。

 ところで、エミール・ハーシュ演じる主人公が担いでいるバックパックは、ジャン・スポーツのフレームザックです。いまは見かけなくなりましたが、あのバックパックはあのころの一人旅の象徴でした。私は高校生のとき、あの大きなバックパックにテントと寝袋を詰め込んで、北海道あたりを何度も旅行しました。大雪山から十勝連峰まで縦走しようとして、夏の長雨に降られてテントで停滞を続け、結局一週間もかかってしまったこともありました。正直に言えば、映画の冒頭で、主人公があのバックパックを担いでたったひとりで道路を歩いているシーンをみたところから、「イントゥ・ザ・ワイルド」にのめり込んでしまった私です。

 映画は9月6日にシャンテシネなどで公開されるそうです。EXでは、エミール・ハーシュに取材しており、公開前に掲載予定ですので、その折にはご一読ください。
 

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ネルソン・マンデラ氏 90歳記念コンサート

2008/06/29 12:41

 

 EXの当番編集長を担当するとき、きょうは読者にこういうことを伝えよう、という編集者としての想いをいつも意識しています。きょう6月29日付の1面には南アフリカ元大統領、ネルソン・マンデラ氏の90歳を祝う記念コンサートを取り上げました。

 こうしたコンサートを新聞の1面として報道するのは、編集者としてはかなり勇気がいります。EXは創刊時から「新聞は硬派でなければならない。硬派であるからこそ、徹底的にわかりやすさを追求する」を基本コンセプトのひとつとして活字メディアの新しいかたちを探ってきましたから、単なる娯楽情報はEXの求めるところではないからです。

 このコンサートは、ハリウッド俳優のウィル・スミスが司会をして、ユーリズミックスアニー・レノックスやクィーンのブライアン・メイ、エイミー・ワインハウスたちが舞台に立っていますから、エンターテインメントとしてもきっと一級品だったのでしょう。でも、ネルソン・マンデラ氏の存在には単なる娯楽イベントを超えた、いまの世界に対する明快なメッセージを感じます。

 南アフリカで人種隔離政策と戦って27年間を獄中で過ごし、釈放されてノーベル平和賞を受賞後、初の自由選挙で勝利して大統領に就任。そんな凄まじい政治家生活から引退したあとは、貧困やエイズなどいわゆる Global Issue に取り組む象徴的な人物となりましたが、息子をエイズで失うという試練にも見舞われています。そうしたマンデラ氏について、EXの担当エディターH&Hは、記事の中で「マンデラ氏の90年間は、人類が直面する難題との戦いの連続だったのかもしれない」と表現してくれました。

 そんなマンデラ氏が体現しているメッセージとは、何なのでしょうか。私なりに解釈すると、それは「世界はもっと良くできるんだ、世界は変えることができるんだ」ということなのだと思います。

 ブリュッセル特派員だったころ、EU首脳会議のゲストにマンデラ氏は呼ばれたことがありました。そのとき、オフィシャルな首脳たちの集合写真を撮影した後、欧州のたくさんの大統領や首相たちが先を争うようにマンデラ氏と自分のツーショットを持参したコンパクトカメラで撮っているところをみました。マンデラ氏は、世界の指導者たちにとっても、特別な存在なんですよね。

 そういうマンデラ氏をリスペクトする気持ちは、ミュージシャンや一般の人々にも広がっていて、それが90歳の誕生日を祝うコンサートにつながった、ということなのでしょう。そういう価値観を世界の多くのひとが共有しているということをEXの読者にお伝えしたかった、これが当番編集長として、このニュースを29日付1面に選んだ理由です。

 環境問題でもエイズ対策でも、ミュージシャンがアクティビストの代表となって各国の大統領や首相と会談する時代ですから、音楽イベントが単なる娯楽を超えたメッセージを持つのはいまや世界の常識かもしれませんね。

 この日のコンサートの壇上で行われたマンデラ氏のあいさつは、こんな内容でした↓
 このなかで、マンデラ氏は「私たちには、まだまだやるべきことがある」と言っています。また、20年前のことというのは、当時まだ獄中にいたマンデラ氏の釈放を求めてロンドンのサッカースタジアムで開かれたコンサートを指しています。

http://www.nelsonmandela.org/index.php/news/article/nelson_mandela_addresses_crowd_at_46664_concert/


 お読みいただけるとわかると思いますが、あいさつの最後にあるマンデラ氏の言葉がEX1面の見出しです。
 担当エディターH&Hは「新しい人たちに私の責務を手渡すときが来た。これからやるべきことは、今、あなたたちの手に託された」と訳出しました。この「あなたたち」は世界の人々を指すのでしょうが、そのなかにはもちろんEXの読者のみなさんと作り手である私たちが含まれていると思っています。


  EXがお手元にない方もいらっしゃると思いますので、紙面のイメージを添付しておきます。記事は読みにくいかと思いますが、とりあえず最大サイズでアップしてみます。一応、宣伝も兼ねてます…。

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新井敏記さんインタビュー 「想像力の旅をしよう」

2007/12/31 20:53

 

 2006年11月にSANKEI EXPRESS(愛称EX)を創刊してから2回目の正月を迎えました。年の初めにあわせて12月某日、スイッチ・パブリッシング社長の新井敏記(あらい・としのり)さんに、EXのこれからを考えるヒントをお聞きしました。インタビューは元旦の紙面に掲載していますが、スペースの都合で圧縮して掲載したので、こちらで感想めいたところを含めた拡大バージョンをお届けします。

 新井さんは、高校時代に「誰かに読んでほしい」との思いでガリ版刷りの雑誌を作りはじめ、大学時代に雑誌「千年王国」、大学院では「ISSUE」と次々と雑誌を創刊し、ついには独力で出版社を立ち上げて「SWITCH」「COYOTE」といった雑誌を発刊しています。活字メディアにあふれるような情熱を注いでいるひとだけに、EXへの期待や注文もとても熱いものでした。

 以下、長文ですが、活字メディアのこれからを考えていただく一助になれば…。


 --タブロイドの新聞に特別な存在意義を感じているようですね
 新井 僕がNYにいた時代は「エリア・ペーパー」がものすごく活性化した時代だったんですね。ビレッジ・ボイスとか、ソーホー・ウィークリーとか。そのエリアのなかにものすごく特徴的な人々が住み始めたり、そこから発信してきたものが豊かに花開いたひとつの時代を目撃できた実感があるんですね。部屋から街に出て、それ(エリア・ペーパー)を買って、カフェでそれを読んで、また部屋に帰ってくるという…。ひとつの旅というのか、大きなものではなくて、小さな、日常のなかにある想像力の旅っていうのか。それが、生きていくっていうことを後押しした時代があったと思うんです。

 NYにいたのは80年代後半ですが、そういうひとたちを目撃して「ああ、ほんとうにうらやましいな」と思いました。そういうペーパーが日本には本当になかったんですよ。日本の新聞は大きな新聞ですよね。全国ネットで。エリア・ペーパーには地方紙があって、その地方では大変な影響力があると思いますが、若い人への向けたものではなかったと思うんです。NYのエリアペーパーを手にとって、わかった気になっていた。全部が全部わかるわけじゃないけど、今ここがおもしろいとか、この本をどう読むかとか。コラムではノーマン・メイラーが主幹でしたから、状況がひしひしと感じられるというか、ごくあたりまえに社会を支えていた。そういうものが日本にもあったらいいな、とずっと思っていたんですよ。そこに当時はEXという名前も決まっていなかったけれども、「タブロイドの新聞をつくりたいんだ」という話を聞いた。僕の中でタブロイドの新聞は、丸めたり脇にはさんだりして、一緒に街にでていくものなんだな、っていう感じがしたんです。

 ビレッジボイスやニューヨークタイムズの日曜版みたいに、分厚いたばになった新聞のなかに、ブックレビューがあって、映画の欄もあり、自分の好きなところだけをとって、あとは捨てていくという光景をみていて、「ああ、いいな」と思ったんです。そこのレビューにどういう記事が載るかによって影響が出てきて、映画にもでてきますが、ミュージカルがレビューでどのように評価されるかで関係者が一喜一憂するでしょう。メディアと世の中がものすごく密接な感じがします。スーパーマーケットがなかったころに、肉屋さんの店頭で「100グラムください」とかいって注文するような、幻想かもしれないけど、密接なコミュニケーションがメディアと人々の間に成立しているところをかいまみた。それが頭の中にあったから、タブロイドの新聞をつくるときいたときに、「ああ、そういうことをやってほしい」と思ったんです。願った、って感じですかね。インターネットで得られる情報や通常の日刊紙で得られる情報ではないものをぜひやってください、と思っています。


                            撮影:瀧誠四郎カメラマン

 --最近の活字メディアで印象的だったのは、池澤夏樹さんの世界文学全集です。初回がジャック・ケアルックの「オン・ザ・ロード」。ここから今の時代の世界文学全集が始まるというメッセージには気概を感じます。

 新井 ブログが小説になって、それが本になる、というのは僕やイヤなんですよ。あれはハーレクイーン・ロマンと同じで、100万部売れるから影響力があるんじゃなくて、そこになにかの核になる新しさや革新的なものがあれば、500部だって影響力があるだろう。そういう感じをどこかで信じている。売れる、という方程式はおそらく僕には証明できないけれども、好きな人に想いを伝えることはできるだろう。

 池澤さんが伝えるということは、ジョン・レノンの「想像してごらん(イマジン)」ということと同じだと思う。たとえば、イラクにある小さな橋を渡ったとして、宗教や政治ではなくて、自分が一緒に遊んでいた子供たちがどうなったんだろう、というところからレトリックが始まりますよね。それは世界で通用する話じゃないですか。キリスト教の世界とイスラム的な価値観にはどうしても相容れないものがあるけれども、そういう視点で立ったときに世界は同じなんだっていうところ。自分たちが話したひとがどうなったのか。そうして、見知らぬ土地にきちんと想いを寄せること。

 池澤さんが旅を勧めるのは、おそらくそういう人たちに会うと言うことだと思うんですよ。会うことによって知らないって言うことを知ること、自分たちと違う人たちがいるって言うことを知ること。知らないと自分たちがものすごく奢っていくことになるじゃないですか。自分の持っている価値観が全部だと思っている。でも、知らないことを前提に知らないことに会うと、ものすごく大きな価値が違うところではあるということを知るんだと思う。それがたぶん池澤さんの論理を構築している。

 --ひとは自分と違う価値観を持っているんだ、この人は自分と違うんだ、ということは、知らない人に会わないとわからないんですよね。

 新井 恋愛するとわかるじゃないですか。僕は相手が僕のすべてだと思っているけど、相手は僕のことをすべてだと思っていない。そういうことと同じ。そういうところが鍛えられていないひとが増えていくと、他人の価値観に対して謙虚になれないから、突然、誰かを射殺しちゃうみたいなことが起きている。痛いということがわからないんだと思う。

 --知らないひとやものに会うために活字メディアがどんな役割を果たせると思っていますか

 新井 もっと個人的なことなんだけど、活字メディアは知らないひとやものに会うための手段なんじゃないかと思っている。僕にとって一番最小限度の武器でいいのは活字であるし、活字と同時にインターネットであると思っている。ただ、インターネットの持っている無尽蔵の広がりは僕にはいまひとつリアリティがないんで。

 僕のやり方って、いろんなメディアに対して同じなんですけど、一番最初にAさんに読んでほしいなと思ったとき、高校生の時なんですけど、僕の場合はガリ版を切って読んでもらったんですね。そうしたら、Aさんが「おまえの字、汚いから読みにくいよ」っていうんです。だからどうしたかっていうと、そのころ和文タイプというのがあって、商業科があったので、商業科の人に頼んで放課後に打ってもらった。それをまた謄写版で打ったら、それはきれいな字だから読んでくれるじゃない。それが一人増え二人増えていくけど、そこには限界がありますよね。せいぜい10部くらい。

 そうなると、もっとたくさんのひとに読んでほしくなって、印刷所に活版で刷ってくださいって持っていったんですよ、アルバイトで貯めた5万円持っていったけど、足りないって言われたな。紙代なども入れて10万円って言われた。どうしたらいいですか、って聞いたら「おまえ自分で活字拾えばいいじゃん」って教えてくれたんですよ、「そうすれば印刷費だけでいいんだから」とね。僕はそれで自分で活版の組版をして、うまく活字が拾えなかったんですけどね、結局は職人さんが助けてくれました。素人に活字をいじられちゃたまんなかったみたいで

 --そのときは何を書いたんですか

 新井 小説でした。ペンネームも入れて。全部自分の新井ではかっこわるいと思って、アメリカ文学の翻訳とかいってね。イラストは友達が描いてくれて。

 --それを読んでほしかった人はどんなひとだったんですか

 新井 クラスメートとか僕の親友とか。女子高生のひとたちとか。フォークギターでよくコンサートをひらくひとがいましたけど、それと同じ感覚ですよ。恥ずかしいこともいっぱなったけど、わかんない、とか言われて。原則はお金がほしかった、ただはイヤだった。お金をもらうのは大事なことだと昔から思っていた。メディアは広告で成り立つから、どうしてもそこに行かざるをえないんだけど、100円でもいいんだけどお金を払えば、読む人が参加する価値があるような気がして、100円をつけたんです。それ繰り返し高校生のときも大学生の時もやってました。

 それで大学院に行って、そのころからずっと雑誌をやっていて、自分でアルバイトしては雑誌をつくっていた。大学時代に「千年王国」っていう雑誌を作っていて、今考えればすごい大仰だなあと思うけど。で、卒業して大学院にいって「ISSUE」っていう雑誌をつくって、そのころいろんなミニコミがでたんですよ、それを本屋さんに持っていっておいてもらって。26歳のときですかね。80年代前半です。
 ISSUEには編集とか発行という意味があるから、僕はすごい好きで、自分の事務所もISSUEという名前にして、で、その雑誌をスタートしたわけです。

 --それがSWITCHに至るには、時間がかかったんですか

 新井 そんなにかかってないですよ。SWITCHが85年創刊で、実際は84年くらいだから。ISSUEをやりながら、SWITCHを並行して始めて

 --いまはCoyoteですね

 新井 僕はずっとSWITCHでひとをテーマにやってきて、それをいまは若い人たちにまかせて、今度は旅をテーマにやっていこうと思った。それは星野道夫と話したときに、「旅の雑誌を作ろうよ」と言われた、そのときに彼は「トイレで読める雑誌を作ってよ」と言った。「なんでトイレなの」って聞いたら、荒野でトイレをするときが一番びくびくするんですって。それで彼が一番安心するのは、フェアバンクスの家に戻ってトイレで用を足すときで、帰ってきたっていう実感があって、ついつい本を読んじゃう、って言うんです。実際に彼の家のトイレには本がたくさんあった。それも大事な本があるんです。そのとき彼は「旅の雑誌はたくさんあるけど、トイレで読めるような旅の雑誌をモチーフにしてやるんだったら、僕はいろいろやりたい」という話があった。それが長い間、彼と果たせぬ約束があったんで、それをなんかモチーフにできないかな、と思ったんです。

 --そうやって雑誌を作っていくときに、誰に何を読んでほしいか、ということを考えると思うんです
 新井 そんな大それたことではなくて、ただ単に読んでほしいだけ。できる限りたくさんの人に読んでほしいという思いはありますけど、でも、ひとりのひとにちゃんと読んでほしい、というのもある。たとえば、そのとき好きだったひとに読んでほしいというのはありますよね。

 これは沢木耕太郎さんと話したんだけど、ジャーナリストとノンフィクションの違いは何か、というと、ジャーナリストは即物的なものを作る、ノンフィクション作家はそこに物語を求める、そこは違う、と。記者会見でシャッターをパチパチ押すときは、変な顔をしているときにとる。インタビュー写真というのは、そのひとの一番いい顔を撮ってあげようとするんです。その差なんじゃないか。そこが使う脳みそが違うんじゃないか。

 そして願わくば、こういうタブロイドのペーパーはそこの物語の間を埋めるような存在であってほしい。それがコラムだったり、ボブグリーンのようなコラムがあれば、それはすごくいいな、と思ったんです。だから、ジャーナリズムとノンフィクションの間を埋めるような、物語を生成するような場に立ち会えるような新聞にしてくださいよ。これが僕の正月の提言。そうすると、写真の選び方も文章の選び方もイラストも、そのテーマであれば違うじゃないですか。それを僕はすごく読みたいと思うんですよ。そういう物語の生成を意識すれば、そこで写真のセレクトも違ってくると思うんです。

 ライフっていう雑誌はそこを埋めていたと思うんですよ。いまはそれがなくなった。絶対その需要ってあるような気がします。僕の好きなライフの記事に「カントリードクター」っていうユージン・スミスの作品があります。田舎医者です。その田舎医者のさりげない一日を丁寧に追っているんです。

 なにも大きなニュースがあるわけじゃない。ただ、救急患者がいて、ある夜中に起こされて患者が担ぎ込まれて徹夜で看病した翌朝に台所でコーヒーを一杯飲んでいる写真があるんです。手術着をそのまま着ていて、ふっとした表情で、あの一枚をとるためにユージン・スミスはいたんだな、って感じ。8ページくらいのものです。そういう写真を掲載するようなタブロイドペーパーがあったらいいな、と思う。

 そういうものがここに載ってふさわしいような紙面作りをするといい。それが売れるかどうかはまた違うんですけどね。でも、たぶんそれがこの新聞に広告を出そうというクライアントに説得力を持つと思うんですよ。タイアップとか、いろいろな展開があると思うんです。

 --ジャーナリズムとノンフィクションの間をつなぐ物語かあ。

 新井 一番最初に事件に駆けつけるのは、ジャーナリストである。次にくるのがノンフィクションライターで、最後にくるのが作家なんです。で、新聞は一番最初なんですが、タブロイドの新聞っていうのは、ノンフィクションライターよりも前で、最初に駆けつけた一般の新聞との間をつなぐ存在のような気がする。その仕事をいまの新聞は放棄しているから、そこに存在意義もあるんじゃないか。
 それと、いいコラムは毎日読みたい。きちっとしたコラムね。

 --雑誌とか新聞は意地のある編集者がつくらなきゃいかんということですね。

 新井 そうですね。だって無駄なんだもん。無駄であるが故に続けなければならないと思う。雑誌や新聞って紙をたくさん使って資源を無駄にしているんだから、気骨を見せないといかん。

 --Coyoteで先月やったニコラ・ブーヴェイの特集はよかったです。どうすれば、あのパリの書店からブーヴェイに至るような物語を自分たちが紡げるのかと思いましたね。

 新井 それって出会うことしかないですよね。編集者としての出会いですね。あれはあんまり温めた物語じゃないんですよ。出会ったのは今年の5月か6月ですから。温めない未熟さもでちゃったな、という感じです。あのパリの本屋のおばちゃんは、愛想がなくてね、文句あんの、ってかんじでいちいち突っかかってくる。でも、そのつっかりかたが面白くてね、「なんでベケットの写真を飾っているんですか」ってきくと「いけないの」ときて、写真があったんで「ジョン・カサヴェテス好きです」って言って、「なにあんた、ジョン・カサヴェテス知ってるの」って言われて、「自分の雑誌で特集したことがあるくらい大好きですよ」って返したら、ちょっとふわっていい感じになって。それからしばらくしてニコラ・ブーヴェイのことを教えてくれた。ニコラ・ブーヴェイに愛がありますよね、あの女店主は。こういうことは無駄でも伝えないとね。

 ところで、この新聞はなんで横組みにしているの? 英語は横組みできれいだけど、この日本語の活字は横組みになんかあわないんですよね。

 これレイアウトがよくなれば、もっと良くなるんじゃないですか。たとえば、このメッセージ、すごくいいじゃないですか。このメッセージがもっと生きるレイアウトってあると思う。そこのところを変えるだけですごく違うと思う。

 それに僕はなんでテレビ欄があるのか不思議なんです。絶対なくていい。天気予報もいらない。インターネットでもみられるし、日刊紙に載っているものをこの新聞に入れる必要はないと思う。もっと狭いところでの読者を大事にしたほうがいい。僕は10万部あったら十分だと思う。

 Rolling Stone って雑誌は1980年に創刊したとき、この大きさのタブロイドスタイルだったんですよ。1ページ目から最後までジョンレノンのインタビューなんです。ジョンがビートルズ解散して「ジョンの魂」っていうのをずっとぶち抜きで載せたんです。それで世の中に存在感を示して、若い人の関心を呼んだんです。ジョン&ヨ-コのベッド写真、ジョンが暗殺される日に撮影したものもRolling Stone でしたよね。

 --アニー・リーボヴィッツが撮った写真ですよね。

 新井 そうです。すごいですよね、10年間にわたるRolling Stone とジョンの蜜月って。そういうメディアが作れればいい。

 --Rolling Stoneでは、リーボヴィッツが撮った写真を効果的に使っていますね。

 新井 フォトジャーナリズムのかたちって、もっといろいろあると思う。写真の選び方、レイアウトすべてだろう。

 瀧カメラマン 新聞社のカメラマンをやっていて、新聞が載せたがる写真って、よくないとずっと思っているんですよ。

 <突然、写真を撮っていた産経新聞の瀧誠四郎カメラマン(54)がインタビューに割り込んできた。新聞写真の話題に黙っていられなかったらしい>

 新井 新聞の写真はわかりやすいんですよね。

 瀧 誰がみてもわかりやすい写真をとれるのがいいカメラマンとされる。それにあわせて撮るカメラマンも、こうやってああやってと説明的な撮り方をするようになって、そういう写真がいい写真だといわれる。

 新井 そういう新聞の価値基準って、ものすごく明快ですよね。でも、その先の物語につながるものがあるはず。これで言えば、テロに向かうのか、というメッセージがあるが、そのメッセージはいいのに、この写真とのメッセージの間が埋まっていない。そこがみえにくい。だから、このメッセージのある言葉自体が立ってこない。だから、そのメッセージを伝える写真の選択やレイアウトがあるはず。本来はこのメッセージに比重があるべきでしょ。でも、写真を選ぶときは、その瞬間が大切だよ、となってしまう。本当はこのメッセージがあって、それを立たせる写真があれば、ほかの記事はいらないと思う。そこにメッセージを伝える物語があればいい。

 あとはタイトル(見出し)ですよね。ひとつのページにいくつかのタイトルがあって、それぞれが違うということは、そのメディアとしての軸が揺れるということじゃないですか。タブロイドの場合は、メッセージが凝縮されていく方向に紙面を作っていかないと、日刊紙の上っ面をただ縮小していることになってしまう。それでは日刊紙と同じ情報を少し安く買えるというだけになってしまう。それよりも、一般の日刊紙と競合するのではないところに重点を置いてほしい、この新聞にはそれがほしいです。

 なあんて、ほかのメディアを作っている人間は何でも言えるんだけど、自分で作ってみると難しいからね。

 --新聞ですから、毎日そこに入ってきたニュースをあれもこれも入れたくなっちゃうんですよね。編集するときの腹のくくり方が問題なんでしょうけど。

 新井 そういう伝え方で読者を育てる、っていうところも大切じゃないですか。雑誌やメディアはそういう読者が作っていくところもあるし、僕自身そういうことを信じたいんですね。

-------------------

 このあたりで約束の1時間が経過、新井さんは「じゃあ、僕は約束があるから」と夕暮れの街に消えていった。

 

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犬式のライブ

2007/04/10 02:15

 


 長らくご無沙汰しておりました。
 いろいろあったんですけど、EXは4月になって再び紙面をいじり始めております。今回は、9ページから24ページまでの、いわゆる「ART CAFE」と名付けている部分のコンテンツ見直しが中心です。

 で、コンテンツ見直しに絡むアイデアを探そうと、20年来の友人Kに連絡をとりました。
 その酒席のこと。私は「EXのART CAFEには、たとえば、ある時期の Village Voice みたいに、時代の先端をとらえるようなエッセイとか、音楽、演劇、ポップアート、ファッション、映画、なんかの紹介記事が載っているのが理想なんだよね。都会に暮らす20代30代を意識した新聞だからね」と、よせばいいのに酔いにまかせて大風呂敷を広げてしまいました。ついつい気が大きくなっちゃったんですね。

 友人Kは、学生時代から一貫してサブカル系の映像や音楽でがんばっている、小所帯のプロダクション経営者です。予想したとおり Village Voice という単語にクリと反応しまして、「なるほど、そーいうこと。んじゃあ、発信力のあるバンドに心当たりがあるから、とりあえずライブに一緒に行こう」と誘われ、先週末の丑三つ時、渋谷を徘徊することになりました。
 
 大手町近辺を日常の生息空間としている私にとって、クラブなんぞに出没するのは、何年ぶりのことか。連れて行かれたのは、「CLUB ASIA」。いわゆるクラブの中では老舗。広めのスペースできちんとしたイベントを提供しているタイプのハコです。この日のパフォーマンスは「UNITED FUTURE ORGANIZATION」というクラブDJの実力派が演出していて、その最後にでてくるのが、お目当てのバンドでした。

 でもまあ、やっぱりというか、スケジュールが押していて、バンドが出てくるのは早くても零時過ぎだろうと見越して現場に到着したのですが、結局、演奏が始まったのは、午前2時半ごろ。仕事が終わってからでも、ゆったり間に合う時間です(笑)。

 バンドの名前は「犬式」。グルーブ感のあるレゲエのリズムとメッセージ性の強いオリジナル・ソングが熱狂的なファンに支持されているようです。詳しくは、
バンドのホームページやメンバーのブログをみてください。一部ですが曲の試聴もできます。

 印象に残ったのは、曲やリズムだけではなく、三宅洋平というボーカルが曲の合間に伝える語りでした。

 たとえば、「クルドという民族を知っているか。イギリスフランスが勝手に中東の国境線を引いたとき、気の毒なことに自分たちの国を持てなかった民族だそうだ。いま、イラクシリア、トルコなどにバラバラの国に分かれて暮らしているということで、それぞれの国で命が危険にさらされるような目にあって、そのなかの何人かが日本に逃げてきた。

 俺はクルド問題に関心があるわけでもなかったんだが、そのうちのひとりがたまたま、公園でサッカーをやる仲間のひとりだった。そいつはある日、不法滞在で入管に捕まった。いまも品川にある入管の建物のなかで拘留されている。日本は平和だ。だが、この国は、命からがら逃げてきて、助けを求めている人たちをそんな目にあわせることによって、なんとか自分たちの平和を保っている国でもあるわけだ。そういう現実をみせつけられて、どうしようもない怒りを感じるんだ、俺は。

 じゃあ、その現実をどうやって変えるのか。それには、ひとりひとりがクリエーターになるしかない。現実のなかに取り込まれてしまうんじゃなくて、いまここにいるみんながクリエーターになるしかないんだ。わかるだろ」ってな調子です。言葉はうろ覚えですが…。

 こういうアジテーションとともに、レゲエのリズムがどんどん強まり、バンドとファンが一体になっていく。そんな熱気にあふれたライブでした。

 ロックの基本は「反権力」。これはジョン・レノンを持ち出すまでもなく、数十年前から多くの人に支持されてきたことなのだと思います。私自身はジョン・レノンを同時代として聴いた経験はなく、中学生のときにボブ・マーリーの音楽を初めて聴き、日本公演に行って感激したひとりなのですが、そういう反権力をストレートにメッセージにした音楽がいまの日本で、ごく限られた空間とはいえ、熱狂的な支持を受けているところがあるんですね。「第3の権力」といわれる新聞メディアに携わる一員としては、三宅洋平氏の語りにそのまま共感することはちょっとできなかったけど、ライブ空間の熱気にあおられながらリズムに身を任せるのは気持ちよかった。

 ライブが終わったのは、そろそろ始発電車が動き出す時間。体がほてったので、路上でクールダウンしていたとき、友人Kがいいました。

 「新聞とかテレビが何を言っても聞こうとしない20代30代の人は多いよ。でも、音楽やアートを通してなら、伝わることもある。EXがその人たちに何かを伝えようとするんなら、考えてみたら」

 う~ん、難しい話だよなあ。だいたい、そういう人たちって新聞を読むのかなあ…。
 などと考えたりもしましたが、ともかく久しぶりの楽しいライブで心地よい疲労感を味わうことができました。

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EXPRESSの2月紙面見直し ~追加~

2007/02/24 02:14

 


 2月初めに断続的に行ったEXPRESSの紙面改革の中で、読者のみなさんから要望が多かった改善点のうち、以前にこのブログのコメント欄で検討を約束していながら、紙面改革での検討結果を報告していないものがありました。

 それは、「電車の車内などでEXPRESSを縦に折って読みたいのだが、そのときに折り目が記事の途中にくると読みにくいので、工夫をしてほしい」との指摘でした。
 そのときのコメントでは、「現在、1ページにつき5列を基本にしている文字の折り返しを、4列にすれば縦にEXPRESSを折っても記事のなかに折り目がくることはない。紙面全体の構成を考えて検討したい」との趣旨をお答えしたと思います.

 この点について、現時点でのひとつの答えを出してみました。
 それは、「EXPRESSの紙質を従来よりも柔らかいものに変更する」というものです。これはつい最近、変更したのですが、読んでいただいた方は気づいていただけたでしょうか?

 この答えを選んだ理由を説明します。

 まず、文字の折り返しの組み方(私たちは『組版の体裁』などと呼んでいます)を5列組にするのか、4列組にするのか、という点です。

 これは以前にも説明したかもしれませんが、5列組と4列組を比べると、タブロイド判では5列組のほうが同じ1ページのなかに記事がぎっちり詰まっている、という印象が強くなります。逆にいえば、4列組のほうがゆったりとした印象になります。EXPRESSのなかには、4列組でつくっている記事もありますので、ご関心のある方は、5列組のページと読み比べてみてください。

  さて、どちらがいいのか? これは議論が分かれるところです。

 ここで私たちが気にしたのは、EXPRESSに対する第一印象を調査するたびに、「一般紙として必要な情報がきっちり入っているかどうか心配」との答えが、だいたい20%前後あることです。EXPRESSは、日本では例のないタブロイド判の日刊一般紙ですし、1面に象徴されるように写真を大きく扱うレイアウトによって、編集者の意図を印象的に読者に伝えることを目指していますので、初めて読んでくれた方は、「情報量が少ないんじゃないか」「新聞として頼りないんじゃないか」と受け止める傾向があるようです。

  実際は、従来の一般紙と比べていただければいいのですが、一般紙が見出しに段を立てて扱う当日のニュースの8割以上がEXPRESSに収容されているはずです。でも、タブロイド判の小さな新聞で、写真が鮮やかとなると、「頼りなさそう」という印象を受ける方が2割程度いるみたいなのです。

 こうした「頼りないんじゃないか」という疑問に答えるためにも、私たちは生真面目に硬派のニュースを選び、それをなるべくわかりやすく伝えることを編集の基本方針にしています。そのなかで、記事が「ぎっちり詰まっている」という印象を大切にしたいと考え、2月の紙面改革では、原則として5列組を維持することにしました。また、5列組のほうが、写真の大きさについて、2列、3列、4列、左右全開の5列といろいろ選べるという利点もあります。
 まあ、このへんは、記事につけるグラフの大きさなどで、4列組など柔軟に変更することもありますが…。

 こうした事情から5列組を基本とする一方で、コンパクトに折りたたんで読みたい、というニーズにも応えたかったわけです。

 そこで、柔らかい紙を採用することで、縦ではなく、横に折りたたみやすくしてみることにしました。タブロイド判を横に折りたためば、A4サイズよりも小さくなるので、電車の座席でも簡単に膝の上にのせて読めるのではないか、と思うのですが、いかがでしょうか。
 
 また、正直に申し上げれば、紙質の変更は「EXPRESSは上質紙なので重量があり、部数が増えると配達が大変」という販売現場からの声もあったので、そちらの要望に応えるという意味もあります。

 新しいEXPRESSの紙は、製紙会社に特注で開発してもらったもので、発色もこれまでの紙より良くなっています。したがって、写真もこれまで以上に鮮やかになりました。手に持ってみると、ソフトでしなやかな感じになっています

 以前にコメントでお答えしたように、今年12月中旬には新しい印刷設備が稼働して、首都圏でも32ページすべてがカラーの紙面になります(関西圏では創刊時から全ページカラーです)。印刷設備が新しくなれば、さらに鮮やかな印刷が可能になり、手も一段と汚れにくくなります.

  「折りたたんで読みやすいように工夫してほしい」との指摘には、とりあえず紙質変更という答えを用意してみました。でも、縦に折ってしまうと、記事の真ん中に折り目がきてしまうというところは、申し訳ありませんが、変更しませんでした。上述しましたように、これは紙面の「ぎっちり感」を優先したためです。

 こうした経緯については、2月紙面改革での検討を約束したのだから、本来ならばもっと早く説明すべきだったのですが、製紙会社に特注した新しい紙が納品され、実際のEXPRESSで使い始めるまで時間がかかったため、きょうまで遅くなってしまいました。失礼いたしました。

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ネット広告が急伸 新聞は…

2007/02/20 22:54

 


 予想していたとおりとはいえ、電通が20日に発表した「2006年の日本の広告費」は、広告の世界でネットが急速に既存メディアの広告収入を脅かしていることを浮き彫りにしました。

 総広告費(推定)は、トリノ五輪やサッカーW杯効果から、総広告費(推定)は前年比0・6%増の5兆9954億円と3年連続で増加。このうちインターネット広告費は、29.3%増の3630億円でと前年(54.8%増)に続く高い伸びを示しており、07年には雑誌を抜く勢いです。

 メディア別の広告費を一覧表にすると…
 テレビ   2兆 161億円( 1.2%減)
 新聞      9986億円( 3.8%減)
 雑誌      3387億円( 1.5%減)
 ネット      3630億円(29.3%増)
 ラジオ     1744億円( 1.9%減)
 となっています。

 記事の見出しは「ネット広告 2年で倍増」といったところになるのでしょうが、これを新聞業界を主語にした見出しにしてみると、「新聞広告19年ぶりに1兆円割れ 1987年以来」となります。むむう、バブル以前の水準にまで落ちてきてしまったわけですね。

 新聞の作り手のひとりとしては、決して笑い事ではありませんが、これは世界的な傾向です。具体的なデータは、新聞広告に明るい知人のエントリー「世界規模での新聞広告シェア低下」あたりをご参照ください。

 急増しているネット広告ですが、ただ自然と伸びているわけではありません。

 今回の内訳は、携帯電話向けのモバイル広告が35.4%増の390億円、検索サイトの検索結果に連動した検索連動広告は57.6%増の930億円と急増しています。

 ネットは変化のスピードが加速している世界ですから、広告分野でもホームページ上に固定された広告がそのまま伸びているのではなさそう。急伸を支えているのは、携帯電話のようなモバイルであったり、グーグルのような検索連動型であるということは、ネットのなかでも技術とか商品開発にブレークスルーが起きた分野で広告が伸びているということのようですね。

 ネット広告はまだ広告費全体の1割にも満たないのですから、当分は伸び続けるとみるのが自然でしょう。いつかは、どこかで既存メディアとの棲み分けがくるのかもしれませんが、そういう歯止めがどこにあるのか見極めることができるのはしばらく先になりそうです。ネット広告の伸張は、「WEB進化論」じゃないですが、これは構造的で本質的な変化だからこそ、着実に進んでいくと考えるしかないように思えてきます。

 裏を返せば、既存メディアにとっても、ネット広告における検索連動型のような、ブレークスルーがどこにあるのかを考えないと、広告の減少に歯止めがかけられないということでしょうか。

 一方で、欧米では広告収入に依存したフリーペーパーが増えているとの現実もあります。その状況は産経デジタルの近藤哲司氏が「世界の新聞業界 増える無料紙、減る有料紙」という記事で紹介しています。広告収入が業界全体で減っているのに、フリーペーパーが増えているというのは、どういう理由なのか。欧米を中心に広告費が減少する中でもフリーペーパーは新しい市場を開拓しているので、部数が伸びているとの分析もあるようです。

 ちなみに、日本よりも数年早くネットの伸長で新聞が揺さぶられている米国で、新聞社の業界団体である全米新聞協会(NAA)がまとめた対処法も、先に近藤哲司氏が「ネット拡大、新聞は生き残れるか」という記事にまとめていました。

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