昨日行われた文化勲章親授式のニュースで、日本文学研究で著名な米コロンビア大学名誉教授、ドナルド・キーンさんの姿をみかけました。現在86歳とのことですが、お元気そうにお見受けしました。
キーンさんには、コロンビア大学に社費留学していた1996年に一度、お茶の時間に招いていただいたことがあります。ちょうどニューヨークで作家の安部公房(1924-1993)に関するイベントがあり、そのPRを兼ねて、同じように留学していた日本人記者数人と一緒にお声がけいただいたのでした。
場所はコロンビア大学にあるキーンさんの研究室。そのころキーンさんは大作「明治天皇」をご執筆中だったので、研究室は関係する本や資料であふれかえっていました。ご高齢なので、早起きして午前中は研究室で執筆し、午後は読書をしたり来客に応じたりする暮らしぶりだと言っていました。
茶会では、自己紹介のあと、執筆中の「明治天皇」についてあれこれお話しをうかがい、一段落したところで、キーンさんが安部公房について、ゆったりとしたペースで話し出しました。キーンさんと安部公房は親交が厚かったようで、話題は他の作家たちと一緒にチェコスロバキアを訪問したときの話になりました。カフカを出すまでもなく、チェコは冷戦下の当時もクンデラといった作家を輩出した土地であり、安部公房は気分がハイになって、ずいぶん陽気だったそうです。
キーンさんとの会話を思い出しながら再現してみます。よく通るテノールの響きで、教え子に大切なことを伝えようとする教育者のように、穏やかな口調でじっくりと話しかけていくような感じでした。言葉は流れるような日本語です。
「チェコに滞在中、プラハから少し離れた農村に安部公房といったことがあります。そこで何を思ったのか、安部公房は地元のひとたちと話し始め、いつのまにか車座になって盛り上がっていったんです。ずいぶん長いこと話が弾んで、帰りの車の中で、安部公房が僕に興奮したように話しかけてきたんです。
話の中身は印象に残らなかったので、たいした内容じゃあなかったと思います。この土地の人々がいるからこそ、この土地に素晴らしい文学が生まれたとかなんとか、そんなことでしょう。
でもね、あとになってから、僕はふと気づいたんですよ、安部公房はいったいどんな言葉でチェコの人たちと話をしたのかなあ、と。
安部公房は外国語は得意じゃないし、チェコの農村の人々は片言の英語だって難しいでしょう。でも、安部公房は興奮するくらい相手ときちんとコミュニケーションがとれていたように見えました。不思議ですよね。
冷静になって考えてみると、あのとき安部公房とチェコの人々は言葉が通じなかったはずなので、お互いにコミュニケーションができたと思いこんでいただけかもしれません。僕はそのとき『安部公房とチェコの人々は、実は勝手なことを一方的にしゃべっていて、通じた気になっていただけじゃないか』といぶかしく思っていました。ただ、安部公房本人はコミュニケーションが成立したと思いこんでいて、それを疑おうともしていなかった。
作家は言葉を大切にするものです。その作家のひとりでありながら、安部公房はどこか言葉を越えたところでコミュニケーションをするようなところがあった。日本語を越え、言葉を越え…。これは安部公房の文学に通底するところがあると思うんです」
安部公房という作家が持つ大切な部分が、単なる形容詞ではなく、キーンさんの体感温度を通じて自分にも伝わってくるような気がしました。
碩学とは、こうした話し方で、ものごとを伝えるのですね。
心地よい知的な興奮に包まれた、貴重な経験でした。
(SANKEI EXPRESSのオフィシャルブログにアップしたものと同じ内容です)
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by ansund-59
ドナルド・キーンさんが語っ…